2017年12月22日、私の人生に閃光のようにBTSがあらわれた。
これは当時、Mステスーパーライブを洗濯物を干しながら(別のアーティスト目当てで)ぼーっと見ていた私のツイート(ポスト)。
BTSにえぐいイケメンいる
バカ丸出しだが、そのくらいあのDNA歌い出しの白シャツ黒ネクタイ金髪、そして見たこともないほど整った顔のテヒョン(V)は衝撃だった。
一瞬で君だとはわからなかったが、間違いなく引き寄せられたわけである。
韓国アイドルはさっぱりわからない。
BTS(防弾少年団)は、当時名前を聞いたこともない。DNAもその時初めて聴いた。
K-POPは小学生のころ大流行していた東方神起とKARAのイメージで止まっているし、その2グループもメンバーは誰一人知らなかった。
2017年にTWICEのTTが流行って、その曲だけちょっと知っている。そのくらい。
でも私は、それから狂ったように曲を聴き続け、年末年始の休みにバンタン歌謡やタルバンや過去のVライブを見続け、過去アルバムを買い、箱推しになり、気づけば日本FCに入会して日本ファンミーティングに応募して、なんならそのすぐ後に発売された日本アルバムを買って握手会に応募し、キムテヒョンと握手までしていた。
立派なARMYの誕生である。
もうすぐ、初めてみんなを見た日から6年が経つ。
そして今日、全員義務を果たしに行きましたね。
兵役については本当に長く、それこそ2018年頃から国会が取り上げたりして話題になっていたような気がします。
私は思うところはいろいろあったけれど、本人たちが選んだことを尊重しようと思っていました。
そして選んだのが、2025年6月には、全員除隊していること。
少しでも早く7人揃った完全体に戻ること。
本当に愛にあふれたひとたちだなあと思った。
誰よりも本人たちが、7人でまたステージの上に立つことを待ち侘びているんだね。
6年経っても結局推しは一人に定まらず、全員が推し、というよりは「全員でいる状態が推し」と自覚しているファンだけど、本人たちが一番そうなんだなあ。
今年、再契約の話題が出た時も思ったけれど。
いちファンとしては、2025年に全員で会いましょう、と約束してくれたことだけでもう十分で、結果叶わなかったとしても、恨むことはなかっただろう。
約束してくれたということは、少なくとも、そのときはそうするつもりがあったということだから。
口だけだなんて絶対に思わない。
そう心の底から信じられることが、彼らがこれまで築き上げてきたブランドであり、人間性への信頼だ。
だから、後で考えや事情が変わって、叶わなかったとしても、恨むことも怒ることもない。
そのとき確かにそう考えていたこと自体に、とてもとても価値があることだから。
でもみんなは本当に本気で、絶対に絶対に叶えるつもりなんだね。
じゃあ私も絶対その姿を見られるように、健康で過ごさなくちゃと思った。
私は別に、ものすごく熱心なファンってわけではない。
すさまじい数のCDを積んだことはないし、海外公演には数回しか行ったことがない。
生活やお金の大半を捧げるような推し方はしていない。
それでも2018年と2019年、本当に自分なりに、たくさん愛して、応援していたなあと思う。
飛行機移動があまり好きじゃないので、みんなに出会わなければ、一人で海外に行くなんてことはまずなかった。
ものすごくインドアなので、新幹線や飛行機に乗ってコンサートに行くのだって初めてだった。
今となっては、パスポートなく行ける国内主要都市は、そんなに遠出だとも思わずに行ける。
いい意味で日本が小さくなって、自分の世界は広がって、一人で調べてどこでも行けるんだと思うようになった。
MoTSツアー。
初めてアジア以外の公演に行ってみようと思って、LA公演のチケットを2日間取った。
通勤中に40分くらい棒人間を見て粘って、もちろんスタンディングは取れなかったけれど、ステージ真横あたりの結構見やすそうな席を取れた。
GWだったから、本当にめちゃくちゃ飛行機高かったなあ。笑
いっつもLCCだったけど、さすがに10時間超えはつらいと思って、JALで取ったんだったな。
ヨーロッパはベルリンかバルセロナか、休みが取れればどちらかは行きたいな~と考えていた。
思えば、このころが私の熱量のピークだったのかもしれない。
今でも、期限切れのLA公演のチケットがずーっと消せないまま、Apple Walletの中に残っている。
コロナ禍。
2019年の12月、私が最後にみんなを生で見てから、あっという間に1年経ち、2年経ち、と時間が過ぎていく。
その間に、BTSはDynamiteで大ヒットし、文字通り世界的スーパースターになった。
オンライン公演は見ていたし、曲も聴いていた。DynamiteもButterもPTDも大好き。
でも、PTD LAコンはいかなかった。釜山コンも。
LAは情勢的に諦めたと言えなくもないけれど、釜山はチケットを取ろうとも思わなかった。
転職活動をしていて、引っ越しなどもあり、しかも入社間近だったのだ。
――と言えば、それらしいような気がしていたけれど。
たぶん2019年だったら、迷わずにチケットを取ろうとしたと思う。結果取れたかどうかは別として。
対面する機会がなくなり、受動的に受け取るだけのコンテンツは見切れないまま放置しがちで、私生活の変化もあり、熱が落ち着いてしまったのだと思う。
そのときの私は、確かに「まあいっか」と思っていた。
海外渡航制限がどうなってるかわからないし、調べるのも面倒だし、絶対コロナ前よりチケット取るの大変だし。
まあいいか、になっていた。
前ならありえなかった。
2022年のMAMAでホソクが日本に来てくれたのに、情報が出たときも、チケットを今から取れるのか調べもしなかった。
ものすごく暇だったら調べたかもしれない。でも仕事もあるし、私生活もいろいろあるし、まあいっか。
熱が落ち着いた。ずっと認めたくなかったけれど、確かにそう。
それを自覚して、もうあのころほどは熱烈に好きじゃなくなったんだと思うと、寂しくもなった。
ただ、変わらずずっとARMYだったという自覚もある。
仕事や私生活で落ち込んでいたときに、Tiny Desk Home ConcertのバンドバージョンDynamiteと春の日を見て、ボロボロ泣いたね。
本当に信じられないくらい助けられて、もう少し頑張ろうと思った。
2022年6月のフェスタ。
私はユンギと同い年なのだけれど、こんなにスーパースターでもやっぱり30歳手前の時期で、いろいろキャリアについて考えたり、人生について悩んだりするんだなあと思った。
さみしい以上に勇気づけられた。
もちろん私は平凡な一般人なので、悩みの大きさなんかはくらべものにもならないけれど。笑
同じ世界を、同じ尺度の時間の中で生きているんだなあ、と改めて思った。
私にとって推しは、人生を並走してくれていると感じさせてくれる人たちだ。
ソロ曲のMVは、前みたいに意地でも時間をあけて公開と同時13時から見ることはできなかったものもある。
でもどの曲も大好きだった。
ユンギのツアーもあった。
運良く入れて、あーやっぱり最高に楽しいなあと思った。
幸せだった。ずっとここにいたいと思った。翌日は筋肉痛でヘロヘロだったけどね。笑
仕事も忙しくなったし、生活もいろいろ変わった。「好き」なのは変わらないけど、優先度は多少下がったかも。
それでも体温のように、意識しなくても、ずっと存在する熱だと思う。
会えなくても好きだったし、今も好きでいるし、この先もずっと好きでいられたらいいなと、穏やかな気持ちで思う。
みんなの音楽を聴いて、姿を見て、頑張ろうと思えたし、頑張ってこられたし、頑張っていけるよ。
これからもそうだといい。
2025年のその日を待ってます。
いってらっしゃい!